イギリスだけ美術館が無料である不思議- なぜ図書館は無料で美術館は有料なのが世界の常識なのか - |
博物館・美術館が無料であることを誇りとするイギリス
ロンドンにあるナショナル・ギャラリーに入ろうとして目に入るのは、外壁に掛けられた「入場料無料」(Admission Free)の大きな赤い垂れ幕だ。無料とはいえ、入口のそばには募金ボックスが置かれている。気づかずに通り過ぎてしまいそうなほど何気なく置かれている。募金ボックスには、「入場料は無料です。無料であり続けることを支援するために、最低1ポンドか2ポンド(約140円~280円)入れてください」とつつましく書かれている。”無料であり続けるためにお金の支援が必要”というのは少し矛盾しているような気もするが、入場料が1ポンドや2ポンドだとしても非常に安い。ナショナル・ギャラリーのような一流の美術館だと、他国では、通常10ユーロ(約1200円)以上の入場料を請求する。少し罪悪感を感じながらも募金ボックスを素通りすることができれば、完全に無料で美術館を利用することができる。
ナショナル・ギャラリーだけではなく、イギリスではどの国立の博物館・美術館でも入場料が原則無料と決まっている。首都のロンドンだけではなく、イギリス中で国立の博物館・美術館が無料なのである。この制度はイギリス以外の国ではあまり一般的ではない。フランスやイタリアでは美術館のチケットを並んで購入する必要があるのに、イギリスに入ったとたん、チケットを買う必要すら無くなることに、アジアやアメリカからの旅行者は違和感を覚えるに違いない。博物館・美術館の所蔵品や施設の充実度を比べても、他国の博物館・美術館と比べてイギリスが劣ることはまったくない。
イギリスでは博物館・美術館を伝統的に無料で市民に開放し続けてきた。それでも1980年代になると、博物館・美術館に対して政府の助成金に頼らない運営を要求する声が高まり、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館やロンドン自然史博物館をはじめとした数多くの国立博物館・美術館が次々と入場料を導入していった。
そんな中、イギリスの3大博物館ともいうべき、大英博物館とナショナル・ギャラリー、テート・ギャラリーの3館は、手厚い公・民からの資金援助体制を基盤にあくまで無料を貫いた。大英博物館の入口付近にある募金箱には、「大英博物館は1753年から無料で世界に開放し続けています」と書かれている。「博物館の将来のために」という理由で入場者に募金を促してはいるものの、伝統的に無料を貫いてきたことを誇りとしていることが伺える。
2001年に再び無料化を選択したイギリスとその成果
2001年になってイギリス政府は、国立の博物館・美術館の入場料を無料化に戻すことを決定した。1980年代半ばから始まった有料化の15年の間に、無料を貫いた3大博物館は入場者数が96%も増加したが、有料化した博物館・美術館は平均で15%もの入場者を失った。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館は5ポンド(現在の為替レートで約700円)の入場料を導入したが、入場者数は半減してしまった。
イギリスにおける2001年の無料化は、人々の博物館・美術館への関心を再び呼び起こした。無料化にしたすべての博物館・美術館で入場者数が急増したのである。イギリス政府の調査によると、2001年からの8年間で、無料化した博物館・美術館の入場者数は2倍以上となる128%の増加を記録した(2.28倍)。ロンドンでは135%の増加、その他の地方でも109%の増加を記録している。
無料を貫き通したロンドンの3大博物館も、この8年間に入場者数を順調に20%増加させている。一方で、有料から無料化したロンドンの主要な博物館・美術館では、目覚しい入場者数の増加を見せている。ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館は151%の増加を記録し、ロンドン自然史博物館では161%の増加を記録した。国立海洋博物館に至っては197%の増加と、有料時代に比べて約3倍の入場者数へと急増した。
近年になって露出した無料化の問題
入場料が再び無料化された2001年から10年目の2011年になって、無料化政策は新たな局面を迎えている。入場者数を3倍に増加させるという輝かしい成果を果たした国立海洋博物館で、一部施設の入場料が再導入されたのだ。海事博物館とクイーンズ・ハウス、天文学センターとはこれまで通り無料で入場することができるが、フラムスティード・ハウスと子午線の中庭への入場には10ポンドの入場料が設定された。年間チケットという形態を取っているので、1年間はいつでも再入場が可能であるが、ほとんどの人は生涯1度しか訪れないため、通常の入場料となんら違いはない。この入場料再導入の背景には、無料化による入場者数の激増がある。急増した入場者の対応に疲れ果てた博物館が、やむなく博物館の一部を有料化するという選択を取ったようだ。
さらにイギリスの地方都市であるグロスター市は、市立博物館と民俗博物館の入場料を徴収することを決定した。2つの博物館に共通で3ポンド、しかも1ヶ月間有効という寛大な入場料の設定であるが、イギリスが誇る博物館無料政策の流れに逆行する決定であることには違いない。有料化への逆行の流れは、イギリスの地方都市に広がる文化予算の不足が原因しており、イギリス第2の都市であるバーミンガム市を含むロンドン以外の地方都市に波及している。ダービー市では、運営コストを節約するために、市の産業史を展示するシルク・ミルを2011年4月から一時休館している。世界で根強く続く経済停滞の流れを受けて、文化予算がカットされるという問題が2011年になってヨーロッパ中で取り沙汰されている。イギリスでは、ロンドンのように堅固なファンドにバックアップされていない地方都市に同様の財政問題が広がっている。もし入場料を再導入しないと閉館に追い込まれる博物館も存在するほどだ。
博物館・美術館の運営には高額な費用がかかる。管理費や人件費、光熱費などの一般的な経費のみならず、建物や作品の修復・メンテナンスにも相当な費用がかかる。無料であれば入場者数も増え、スタッフや警備がさらに追加で必要になる。博物館・美術館によっては年間何十億円とかかるそれらの運用コストの大半を、国からの助成金によってまかなっている。国民の税金や国営宝くじの収益などから得た国のお金が、美術館・博物館の運営に使われる。特にロンドンでは外国人観光者が多いので、イギリス人が身を削って外国人の入場料を肩代わりしていると考えてもおかしくない。イギリスの納税者としては、納税していない外国人のために税金が使われることに複雑な気持ちを覚えるだろう。
図書館は無料なのに美術館が有料なのはなぜ?
博物館・美術館が有料である他国の常識を差し置いて、イギリスが無料を貫き通す理由はなぜだろうか。元々イギリスは、美術史においてヨーロッパでは後発国であり、自国の作品は他のヨーロッパ諸国に比べてそれほど世界に知られていない。イギリスの博物館・美術館に収められている作品の多くは他国で制作されたものであり、大英博物館のパルテノン神殿の彫像のように、いまだに制作国のギリシャから返還を求められている作品すら存在する。イギリスは産業革命や植民地の時代に国力と経済力を行使して、他国から半ば不正にイギリスに持ち込んだ美術品も多い。そのような事実にうしろめたさを感じるため、博物館・美術館に入場料を課すことができないという見方もある。しかし、それと同じことがフランスやドイツの博物館・美術館にもあてはまるが、それらの国では入場料を完全に無料化しようとする動きは見られない。
そのため、博物館・美術館の入場が無料であることを常識とするイギリスは、ただの変わった国だと結論づけたほうが的確なのかもしれない。それでも、イギリスでは文化的な施設がすべて無料だというわけでも無い。美術館は無料だが、もちろんコンサートホールで音楽を聴くのは有料である。同じ”鑑賞”ではあるが、美術鑑賞は無料で映画鑑賞は有料である。一方で、図書館は全世界で無料が常識であり、イギリス以外の国でもチケットを買って図書館に入場することはほとんどない。図書館が無料なら美術館が有料でもいいような気がする。イギリスの考え方が世界と顕著に違っている点は、博物館・美術館における料金の考え方だけだといえる。
国が博物館・美術館をどんな施設だと捉えるかによって、その国の美術館が有料か無料かが決まってくるのである。美術館を教育の場所と考えるのか、それとも娯楽の場所と考えるのか。公共の施設と捉えるのか、美術好きを満足させるためのサービスと捉えるのか。
例えばオーストリアでは、国立の博物館・美術館が19才未満は例外なく入場無料となる。その他の国でも、未成年が入場無料であるケースは多い。しかし、成人を境に突然美術館の意味が変わるということはありえない。未成年にとっては、美術館・博物館は学校教育の延長でしかないので、無料で開放すべきだという考え方も理解できる。趣味として自ら美術鑑賞を楽しむ未成年は確かに少ないだろうから、有料にしてしまうとさらに美術館への壁を高くしてしまうことになる。
フランスのルーブル美術館では未成年だけでなく、「美術美学史、デザイン、造形美術の現役教員」も無料で入場することができる。イタリアのウフィツィ美術館でも芸術アカデミーの先生と生徒は無料となっている。これらの美術館では、”美術館を教育の場所”として利用する立場の教職員や未成年は無料で、”美術館を観光や趣味の場所”として利用する一般人は有料だということになる。イギリス以外の国では、美術館の利用層には目的別に相反する2種類の層があると考えられているのだろう。
イギリスでは、博物館・美術館の利用者にそのような境界線をもうけない。それどころか、2001年の無料化における1つの目的として、もっと広くあらゆる層の国民に博物館・美術館を利用してもらうという目標を掲げた。しかし、入場者数は激増したものの、同じ教育レベルの層による利用者が増えただけで、利用者層の広がりはあまり見られなかったようだ。また、元々の利用者が訪問回数を増やしたことも、入場者数の増加につながっている。これまで博物館・美術館を利用しなかった層にも利用してもらうためには、もっと積極的な宣伝活動や企画でアピールする必要があるとの調査結果が出ている。しかし、積極的な宣伝活動を行うためには、さらに国からの援助が必要になる。イギリス国民が、そこまで努力して入場者層を広げることへの価値を認めるとは思えない。
博物館・美術館が無料であり続けることは、それだけでも簡単なことではない。国全体で支出の痛みを感じながら、この制度を保つために努力を続けなくてはならない。有料化にしてしまうのは簡単だが、一度有料化が完全に定着してしまうと、無料に後戻りすることは困難だ。博物館・美術館が誕生した18世紀の”万人に等しく知性と理性を追求する機会を与える”という啓蒙時代の精神を、イギリスはいまだに死守しようとしているのかもしれない。
写真ギャラリー
- 入場無料のロンドンのナショナル・ギャラリー
- ナショナル・ギャラリーの入場無料を示す垂れ幕
- ナショナル・ギャラリーの募金箱
- ナショナル・ギャラリーの募金箱
- 大英博物館の募金箱
- 大英博物館内の募金箱
- ロンドン自然史博物館の入場無料を知らせる垂れ幕
- ロンドンの美術館テート・ブリテンの募金箱
- バーミンガム美術館と入場無料の掲示
情報
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